子供の頃、僕は「選ばれる人」になりたいと強く思っていた。自意識過剰で大都会に行けば、ただ歩いているだけでスカウトされ、ギターを弾いてライブハウスに立てる日が来るだろうと夢見ていた。しかし、現実は甘くなかった。選ばれない日々が続き、唯一声をかけられたのは「君、力仕事のアルバイトやってみないか?」くらいだった。振り返ってみると、「選ばれる」ことだけを求めていた時は、自ら「選ぶ」という選択肢を見逃していた。リーダーシップを求められる場面では、自ら選ぶ、つまり決めるとのことにたじろぐこともあった。その背景には、選ぶことの責任の恐れもあったからだ。しかし、自意識過剰だった自分も、ギターに夢中になり、音楽を愛する気持ちが芽生えていった。そして、気がつけば、選ばれることより「好きだからやってるんだよな、音楽」という心境に至った。考えてみれば、選ばれるドキドキは楽しいかもだが、選ぶ方のドキドキは「本当に大丈夫か?」のドキドキがあり、簡単には選べないことがたくさんある。そのことが理解できてからさ、自分が選ばれるかなどより、自分の道を選んで好きなことを続けるということがシンプルにとても大切なことなのだと思うようになった。天才が天が与えた才であるなら、人と比較しての天才だけが天才なのか?と言えば、「人が選ぶのか?天才は?」と疑問にも思う。人との比較、という前置きを外せば、誰もが「天才」なのだ。自分より、どんなことでもすぐれたすごい人は世の中に大勢いる。「天才は習慣だ」そう語る人がいた。今日もギターを弾いて思うことだろう。ギターを弾く、この習慣はずっと続けていこう。人よりうまくなろうとかじゃない。あらたな音に出会いたいからだ。
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